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■山行年月
2018.09.20
■天気
曇後晴
■同行者
単独
■山行形態
沢登り
■コース:往路/帰路
千呂露川北西面直登沢
ポンチロロ川東面沢
   
千呂露川に入渓  出合付近の滑床
   
Co820二条滝 F1
   
Co920ゴルジュ  Co980滝 
   
スラブ谷①   Co1020釜付滝
   
 F2  F3
   
 Co1080滝  スラブ谷②
   
Co1150階段滝  Co1180下流
   
Co1180滝  F4 
   
スラブ谷③  スラブ谷④ 
   
F5  F6 
   
F7  スラブ谷⑤ 
   
スラブ谷⑥  背後のチロロ岳
   
Co1540右沢  山頂風景①
   
山頂風景② 1967峰
   
辿りし沢筋  下降の東面沢
   
ポンチロロ紅葉 GPSトラック
コースタイム
 北電取水施設 5:30
北西面沢出合 6:05
F2(Co1050) 7:25
Co1370滝M   9:40
Co1540二股 10:30
1857峰  12:30
12:45
ポンチロロ川  14:05
Co1116二股  15:25
千呂露川 17:00
北電取水施設  18:50
所要時間 13:20
457.1857峰(北日高)
美しさと厳しさ備えたスラブの大渓谷に圧倒されながら捲土重来果たす
今年6月、二岐沢コース(北戸蔦別岳経由)から山泊で1857峰に挑戦したが、あえなく1967峰で敗退となった。今回、捲土重来を期すべく千呂露川北西面直登沢からピークを狙う。ルートとなる沢は、ネット上の記録などを見る限り、私の力量では微妙な感じなので、久々にチャレンジングな山行となる。時間的にも優に12時間を超えるため、前日夕刻に北電取水施設まで入りテント泊とする。二岐沢出合には車が5台。平日にしては多いのかもしれない。
シュラフカバーだけで夜を過ごすのは、この時期やはり辛い。朝方、テントを叩く雨音。晴予報なのに‥。山ではご挨拶程度の雨と決め込みスタートするも、この時点でプランより30分以上の遅れは痛い。直ぐに右岸から50メートル位はありそうな滑滝が落ちてくる。ちょっとした深山幽谷の雰囲気である。千呂露川は2012年6月チロロ岳(千呂露川右沢→左沢)以来だが、その時の記憶がボンヤリと蘇ってくる。右からの尾根を回り込むと、左岸から目指す北西面沢が流入してくる。出合から滑床や小滝が連続し、神威岳(北日高)に突き上げるカタルップ沢を彷彿させる。15分も歩くと沢がややV字となりF1(Co870)が登場する。7メートルほどの斜瀑で、左岸を上がれそうだがシャワークライムはいただけない。左岸を高巻く。Co909二股を左に入ると小滝や滑床に混じってうねる様なゴルジュも現れる。Co920のそれは行けそうで行けず右岸を小さく巻く。Co980で幅のあるどっしりとした滝(5M)を直登し、Co990二股は左股に進む。右股は2段の滝で流入してくる。沢は少しだけ荒れた感じとなるが、Co1020で釜付二条滝を見ると美溪に戻る。Co1050でF2(20M)が登場する。私の技量では全く歯が立たないので、少し戻って左岸の高巻に入る。右岸のルンゼ状を上がる選択もあったが、傾斜があるので怖い。左岸は灌木やブッシュで覆われているので安心感がある。小さく巻こうとしたのがいけなかった。落ち口左岸が壁となっていて、慌てて懸垂で沢身に戻る。もう少し高く長く巻けば安全に降りられた。巻きに要した時間は30分、意外と手古摺ってしまった。息つく暇もなく左にF3(20M)が現れ、ここは左岸の踏み跡を上がる。奥(Co1080)にも釜付5メートルがあり、ここは直登する。それにしても、滝にはことごとく釜がある。これも一枚岩の岩盤と無関係ではないだろう。沢は緩やかに右に曲がり、ここからがある意味この沢の核心部が始まる。スラブ状の滝が連続するのだ。Co1150は階段状の滑滝が曲がりながら高度を上げてゆく。半端の無い高度感。落ちたらどこまで行くのだろう。慎重に手足を運ぶ。沢下流から吹き上げる風が冷たく、アウターを着込む。Co1200は二股となっており、ルートの右沢には幅広の滝F4(7M)が待ち受ける。角度は緩いが直登は困難で、左の枝沢から藪をトラバースし沢身に戻る。沢はスラブのU字谷となり、やや左に曲がると再び幅広滝F5(Co1240)で右岸を慎重に上がる。Co1290でも同様の滝F6(7M)が現れ、ここは左岸ルンゼから高巻く。滝上の釜付滝(5M)も左岸を巻く。地形図には、Co1360付近に滝マークがあるが、そこには10メートルほどの斜滝(F7)があった。滝マークがつくほどの大物ではない。おそらく、連続する傾斜のあるスラブ滝全体をさしているのかもしれない。それほどインパクトのある景観である。滝番号を付定するのが如何に非現実的か痛感する。果てしなく続くスラブ岩床もCo1540二股でようやく終止符を打つ。
1540二股は右も左も沢筋は頂上岩塔直下付近までスッキリ見通せる。どうやら藪漕ぎからは解放されそうだ。安堵しながらここは右を取る。疲れが一気に噴き出した感じで身体が重いが、背後のチロロ岳や色付き始めた山肌に励まされながらひたすら登る。1857峰のピークはゴツゴツした岩が僅かに認められる程度で、目立つのは西尾根の1753JPのほうだ。こちらは容も良く青々としている。細々と続いていた水流もCo1680付近で消失し、頂上岩塔も明瞭に望めるようになる。少しだけ藪が出てくるが、煩わしさはない。沢筋に忠実に辿り、ラストはハイマツを押し分けて岩塔に上がる。ピークかと思いきやそこは偽ピークで、1857峰の高みはその更に北にあった。頂稜は狭くとても歩けない。一旦、岩塔基部まで降りてハイマツを漕ぎ、適当なところから岩場を攀じ登り待望のピークに立つ。時同じくして、ポンチロロ川源頭上空にヘリが現れる。遭難対応か、それとも、紅葉取材か‥。ドッカとザックをおろし大景観に魅入る。主役はやはり1967峰だろう。高さや大きさはもとより、シャープな稜線を兼ね備え品格すら感じる。西側から見るピパイロは長大な頂稜が影をひそめる。札内岳やエサオマン、戸蔦別岳辺りは死角になっており遠望は叶わない。
証拠写真を撮り15分で下山の途に就く。ルートは東面の沢を降りポンチロロ川に出るというもの。北尾根を10分ハイマツを漕ぐと開けた沢筋に出会う。ここぞとばかりに下降を開始する。遡行で酷使した足腰で急斜面を下るのは辛い。スリップしないように気を使う。この沢はポンチロロ川出合(Co1330)まで基本的にガレ沢で、涸滝が一つ出てくるだけの面白みのない沢だ。ただ、下降に向いていることは間違いない。ポンチロロ川はゴーロ歩きが嫌になるほど長い。時々、釜を持った滝や滑床なども出てくるが、辟易感を払拭するには至らない。休みもせずひたすら歩く。結局、千呂露川本流(Co924)に着いた時は17時になっていた。ここからは迫る闇との競争だ。露わになる白い岩床、幅広い滝やエメラルドグリーンの水を湛えた淵、ウォータースライダーのような流れ‥。時間に余裕があればそれらを楽しみながらの下降となるに違いない。だが、「秋の日は釣瓶落とし」で、北西面沢出合を過ぎるとほどなく闇に包まれてしまう。ラストは冗談にもならないヘッデン下降でテントに戻る。正直、体力・気力を使い果たしテントを撤収する余力はない。もう一泊し、翌日朝早く帰路に就くことにする。こんなこともあろうかと、山頂から家族に、状況によってはもう一泊する旨を伝えていたのは正解だった。装備の後片付けもそこそこに、ドライフルーツで腹を満たし眠りにつく。
北西面直登沢はスラブの大渓谷で、終始、圧倒されながらの遡行となった。Co1540二股までは沢全体が滝のようで、美しさと厳しさを備えている。手抜きは一切許されない。これほどの緊張感を味わったことは久しくない。私の沢行歴の中では文句なしにトップクラスである。難易度は「★★」程度と思われる。下降ルートのポンチロロ川がやたらに長いというマイナス材料を考慮しても、遡行価値は充分にある。山行時間も取水施設起点で13時間以上を要してしまった。二岐沢出合起点ならプラス90分は見ておく必要があり、陽の長い時期にプランニングするのが妥当である。勿論、体力に自信のある向きには関係のない話だが。但し、その場合は雪渓処理の煩わしさが加わるだろう。なお、下山ルートとしては北西面沢を戻るのが近いが、バリバリの滑系で傾斜のあるスラブ谷だけに、下降はかなり危険を伴うと思われる。
★滝番号はF7までだが、便宜上、とりあえず付定した程度で正確性も欠いている。一般的な渓相と異なり、大小のスラブの滝が連続的に出現し、個々の滝の区切りが難しいという事情もある。沢全体が滝と言っても過言ではない。本文でも触れたが、滝番号の付定など意味がないという気になってくる。もっとも、遡行に必死で詳細を記録する余裕がなかったというのもあるが。
★林道終点の二岐沢出合に車を止め、北電の管理道を40分かけて歩く。往復で80分、当たり前だと思っていたのだが、帰りにゲートをよく見てみると、施錠されていない。そして、「注意走行」を促す但し書きが。素直に解釈すれば、一般車もOKということになるが、にわかには信じられない。例え、スタート時に見ても歩いていたと思う。果たして、北電の粋な計らいなどあるのだろうか。