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100.伏美岳・ピパイロ岳・1967峰(北部日高/1792M1917M1967M)
岩場乗越えハイマツの並木道を抜けると花畑の奥に秀峰1967の姿
 【@伏美岳登山口→伏美岳→水場のコル→ピパイロ岳】
 前年10月、伏美岳ピークにテント泊しピパイロ岳をピストンしているが、実は1967峰まで足を伸ばすというのが当初の山行プランだった。重装備(冬装備)と雪道でバテバテとなり、ピパイロ岳までとなってしまった。今回はそのリベンジという訳だが、テン場は伏美ピークではなくピパイロ岳ピーク東直下とする。ここまで重い荷を担ぎ上げるのは辛いものがあるが、違った雰囲気を味わいたくてというのがその理由である。
 重い荷を担いで上がる場合、特に、最初のペースがポイントとなる。とにかく、歩幅を小さくゆっくりとした動きを心がける。照りつける陽射しの中、自分の足下に滴り落ちる汗を見ながら急登に耐える。時折吹く涼風が火照った身体に何と心地よいことか。雲海の十勝平野を背に黙々と登ること3時間30分ほど、伏美岳のピークに到達する。北日高の高峰群はカールと沢筋に雪を残すだけで完璧に夏の装いである。ピークにはテントも設営されており、ピパイロか1967へ向かっている人がいるようである。昼食の後、ピパイロに向かう。Co1546コルまでの急な下りはオーバーペースにならないよう気を使う。以降は細かいアップダウンが続く。ボディブローのようにじわじわと疲労感が増してくるのを感じる。水場のコルからはピパイロ岳まで標高差370メートルほど、締め括りの急登が開始する。Co1730とピパイロ東肩手前の右手斜面(ピパイロ川源頭)には雪渓が残っており、綺麗なところを選んで雪面に顔をつける。稜線まで上がってしまうとピパイロピークは目前である。戸蔦別渓谷を挟んで対峙する山々をじっくり眺めながら歩く。ピラミダルな戸蔦別岳とたおやかな幌尻岳、山容は対照的である。カムエクはエサオマン北カールの右に見えるが、実に大きく高い。正に盟主然とした感じである。さて、テン場はピパイロピーク直下東側で、少々狭くデコボコしているが、周囲をハイマツに囲まれ風は凌ぐことが出来そうである。先ずはテントを設営する。ペグで固定後、万全を期すべく細めのロープでテントをハイマツの太い幹に固定する。夕食は五目御飯に餅3個入りの雑煮、ビールを忘れてしまったのは大失敗だったが、稜線での夕食としては許容の範疇というところか。肝心の翌日の天気は、低気圧接近で全道的に曇から雨、雷の発生もあるという。その兆しか外は雲が出てきて山々は隠れてしまった。天気予報が外れることを期待しつつ眠りにつく。が、それは夜半から明方までつづいたテントを揺らすほどの風で浅いものとなってしまった。テントのロープ固定は正解だった。寝不足状態は否めないが、その代償か雲は上がり目指す山々が姿を見せている。「オイ!、晴れてるぞ」と相棒に声をかける。嬉しい誤算に喜びを隠し切れない。だが、下降気味の天気であることに違いはない。速攻第一、食事をしながらサブザックに荷を移し、降雨を考えテントを撤収する。
【Aピパイロ岳→ピパイロ西肩→東コル→1967峰→ピパイロ岳
 午前4時30分、十勝平野は今日も雲海だ。朝日を背に長い頂稜を先ずはピパイロ西肩を目指して出発する。細い岩稜帯なので細心の注意を払う。西肩はピークよりは6メートルほど低いのだが、こちらのほうが高そうに感じる。右手、北方向は国境稜線だが途切れ途切れに踏跡がついているのが確認できる。無雪期に歩く登山者がやはりいるのだ。西方向は目指す1967峰が南北に大きく裾野を広げて私達の登頂を待っている。北戸蔦別側から見ると鋭角的な山容だがピパイロ側からは雄大なそれに見える。見る角度により山の印象は異なるものだと思う。日高側から雲が次々と流れてくるが天気は何とか持ちそうだ。1967峰との1793コルまではハイマツの並木道を下っていく。途中、3ヶ所ほどテン場があったが、最適なのは1793コルだろう。平坦で広さも充分、千呂露川源頭に向けて「水場」の表示があり確かな踏跡もあった。今なら1967東斜面の雪渓も利用できる(前日ここにテント泊した登山者は雪渓を利用したとのこと)と思われる。ここからはハイマツは影を潜め、高山植物が主役の座に躍り出る。左は戸蔦別川十の沢源頭、右は千呂露川源頭、どちらも明るく開けた沢で、とりわけ前者は遡行してみたい誘惑に駆られる。何種類の高山植物と出会っただろう。とにかく、赤やピンク、黄色に白と、色鮮やかな花々の咲き乱れる中を歓声を上げながら上がっていく。傾斜はキツイがけれんみのないスッキリとした登りで好感が持てる。直下の岩場を攀じ登ると待望のピークである。前年、北戸蔦別岳から登ったときはガスで視界が全く利かなかったが、今回は360度思いのままである。とりわけ気になるのが北西に位置した尾根続きの1857ピークで、日程に余裕があれば藪を漕いで行きたいところである。沢遡行という方法もあるが、かなりの体力と技術が求められそうだ。現実的なのは残雪期の尾根利用だが、1967峰まで上がるのも大変な訳で、やはり遠い山というのが結論である。
 下りも往路を忠実に辿る。良く見ると、直下にも狭いがテント場らしきものが2ヶ所ほどあった。ま、平坦であれば何処にでもテントは張れるが、風や落石、滑落にも注意しなければならず、このあたりは緊急避難時の利用ということだろう。ピパイロ西肩手前で伏美岳から1967をピストンするという登山者と行き違う。1泊2日の日程の場合、2日目の行動時間が長くなるが、伏美・1967間をサブザックだけで歩けるのは優位である。その登山者から「コル付近(水場のコル)で羆っぽいの見かけたので注意してください」との情報を頂く。楽古で遭遇したばかりなので、そのイメージが鮮明に浮かんでくる。「出会わないよう存在を知らせること」「出会ったら騒がず落ち着くこと」を改めて肝に銘じる。ピパイロ西肩まで上がってしまうと、ピークに立つ登山者の姿が見える。平日なので登山者と会うことなど予想もしていなかったので驚いてしまう。テン場に着く頃になると、徐々に雲がかかりだし、1967峰も見え隠れするようになった。私達は良い時に登った訳で幸運に感謝しなければならないと思う。
【Bピパイロ岳→水場のコル→1546コル→伏美岳→伏美岳登山口】
 水や食料がかなり減ったとはいえ、少々濡れ気味のテントもあり重量感にさしたる変化はない。しかし、目的達成の後だけに満足感はたっぷりで、その分だけ荷は軽くなったのかもしれない。東肩からCo1730、水場のコル、1546コルを経て伏美岳へ戻る。往路でも感じたことだが、4年ぶりの夏道は格段に歩きやすくなっていた。折りしも、日高側の主要林道の通行不能が続いており、幌尻岳方面へのルートとして入山者が増えているということもあるのだろう。戸蔦別川本流の遡行者も増えるに違いない。オーバーユースにならなければいいのだが‥。
さて、伏美岳のピークはほとんどガスに包まれてしまっていたが、20人近い登山者で賑わっていた。札幌の団体であるということは下山後に知ったのだが、登山道で平然と用を足す女性もいて、腹立たしいというか、呆れるというか、とにかくマナーの低さに驚くばかりである。注意するほどの勇気もなく、ガスの中、レインウェアーを羽織って下山を開始する。山頂の喧騒は何処へやら、静かな山道を下っていく。膝に疲れが来ていたようで、なんでもない所で転倒してしまう。気を引き締めリスタートする。3合目あたりまで下ると、遂に雨が降り出してきが、ここまで降りれば後は野となれ山となれの心境である。快適な登山も好天であればこそ、つくづく天気に感謝しながら傾斜の緩んだ道を登山口へと向かう。
 帰宅後、後片付けもそこそこにビールで目的達成を祝っていると山岳会から電話が入る。エサオマン北東カール付近で発生した滑落事故に係る救助作業への参加要請であった。会の活動に非協的な私としては、この時くらいは協力しなければと思い休暇を取得し参加した。翌朝3時に帯広警察署に集合し、エサオマン出合で装備を整え待機していたが、ヘリによる救出活動が成功し、午前7時に待機解除、行動終了となった。自らが遭難者とならないよう自戒の念を強くしたものである。
■山行年月/天気
2004. 6.29/晴
    6.30/曇
■同行者
静子
■山行形態
無雪期登山
■コース(往路/帰路)
伏美岳
  
コースタイム(2日目)
ピパイロBC出発
地点分岐等 時間
ピパイロ岳BC 4:30
ピパイロ岳西肩 4:50
1967峰 5:45
6:10
ピパイロ西肩 7:05
ピパイロ岳BC 7:25
8:00
水場のコル 8:40
Co1546コル 9:25
伏美岳 10:25
10:40
伏美岳登山口 12:45
所要時間 8:15
総所要時間 15:45
16時00分自宅到着
コースタイム(1日目)
6時30分自宅出発
地点分岐等 時間
伏美岳登山口 8:00
伏美岳 11:25
12:00
Co1546コル 12:50
水場のコル 13:40
ピパイロ岳 15:30
所要時間 7:30
ピパイロ直下テント泊
頂上からテン場 朝の十勝平野
1967峰へ出発 ピパイロ岳西肩
西肩と1967峰 西肩から1967
手前のコブから 花畑の斜面
花畑の奥に戸蔦 1967から1857
1967から戸蔦 花畑の中の道