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 Vol.47            チェンジリング(2008年/アメリカ/ユニバーサル・東宝東和/142分)
■鑑賞日 2009.03.19(木) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 クリント・イーストウッド
■キャスト クリスティン・コリンズ/アンジェリーナ・ジョリー、グスタブ・ブリーグレブ牧師/ジョン・マルコビッチ、警察本部長/コルム・フィオール、キャロル・デクスター/エイミー・ライアン、ジョーンズ警部/ジェフリー・ドノバン、ヤバラ刑事/マイケル・ケリーゴードン・スコット/ジェイソン・バトラー
■ジャンル ミステリー(犯罪)
■あらすじ

1928年。ロサンゼルスの郊外で、9歳の息子・ウォルターと幸せな毎日を送るシングル・マザーのクリスティン。だがある日突然、クリスティンの勤務中に、家で留守番をしていたウォルターが失踪。誘拐か家出か分からないまま、行方不明の状態が続き、クリスティンは眠れない夜を過ごす。そして5か月後、警察から息子が発見されたとの朗報を聞き、クリスティンは念願の再会を果たす。だが、彼女の前に現れたのは、最愛のウォルターではなく、彼によく似た見知らぬ少年だった。再捜査を求めるクリスティンに対し警察は、母親が動揺・混乱しているだけで事件は解決済みと動く気配を見せない。あまつさえ、子供の行方をつきとめたい一心で警察権力に立ち向かうクリスティンを精神病院に強制隔離させる。時を同じくして、とある不法滞在事件で養鶏場を捜査した刑事は一人の少年を保護する。そして、その少年の口から誘拐・殺人事件の全容が明らかにされる。彼によれば、ウォルターは殺されたという。だが、クリスティンは息子の生存を信じて捜索を続けるのだった。

■コメント

久々に娘と一緒に観た映画。1920年代のロサンゼルスで実際に発生したゴードン・ノースコットによるウィネビラ養鶏場殺人事件の被害者家族の実話を元にクリント・イーストウッドが映画化した作品である。題名の「Changeling」は「取り替え子」といい、自分の子供が醜い子供に取り替えられるというヨーロッパの伝承に基づく(ウィキペディアフリー百科事典引用)。
モノクロのような色使いと粗雑な映像、時代を感じさせるスクリーンには冒頭「実話」とスーパーが入る。この映画、失踪した子供を捜索する母の物語だが、背景には腐敗した警察権力がある。選挙も近く、市長や警察署長らにとって、事件の解決は汚名挽回・信頼回復の絶好のチャンスであった。母親が「別人」と言っても聞き入れず、逆に精神病院に隔離する。権力を持つ人間達の組織的横暴に恐怖感を覚えずにはいられない。それだけに、全く非力な女性が真相求めて一人警察に立ち向かう勇気には脱帽してしまう。それすなわち、母の愛というべきか。暴挙が成立するアメリカ社会だが、宗教団体や市民の間に、一女性の行動を理解し支援する動きが広まるのもアメリカ社会である。社会の光と影が良く描かれていたように思う。「怖さ」は警察権力だけではない。「殺人」目的の幼児誘拐や鉈での殺人という残虐性や猟奇性には身の毛もよだつし、それを子供に手伝わせるというのもおぞましい。更には、リアルな絞首刑のシーン、精神病院での電気ショックなど、「恐怖」三昧なのである。ホラー映画といってもいいだろう。
目を引く場面が幾つか‥。母親が実子か別人か見極める方法としていくつか出てくる。背丈や言葉遣いは万国共通だが、割礼は国を選ぶそれだろう。母親は電話交換の仕事だが、作業所内の移動にローラースケートを利用している。私などには「遊び」のイメージしかなかったので驚いてしまった。また、休み時間に子供の電話捜索を続けるクリスティンをあたたかく見守る上司。職場のいい雰囲気が彼女を支えていると思う。偽息子の出現もおおかた警察が仕立てたのだろうが、クリスティンの追及にも怯まない子供らしからぬ態度は驚きだった。映画の後半で、運よく逃延びた子供達が登場する。彼等が口にしたのは「恐怖」と家族への愛で、幼心に与えた事件の大きさを物語る。生存者の存在を知った母クリスティンは、息子の生存を確信し捜索を続ける。映画はここでラストを迎えるが、母親の大きな愛ととるべきか、それとも、単なる妄想か。子供の成長を楽しみに生きるシングルマザーとしては、これしか選択肢がなかったというべきだろう。
実話だけに映画化には難しい部分もあるのだと思う。つまり、エンタテイメントとして鑑賞に耐えうる作品に仕上げるには何かが必要なのである。クリント・イーストウッド監督は、母の愛とともに、対比的に沢山の恐怖を描くことで映画にメリハリを与えていたのではないだろうか。
この作品で、アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされていたアンジェリーナ・ジョリーについても触れておかなければならない。息子の失踪でうろたえる母、別人を息子と言われ混乱・動揺する母親、警察の横暴に耐え主張を曲げない母親、平然と死刑囚と面会し詰め寄る母親‥。一人のか弱き母親が息子の生存を信じ、あらゆる苦難に耐え強い母親に変貌していく、というシリアスな役どころだが、私の中にあったアクション女優というイメージを一変させてくれた演技だったことは間違いない。あとは、憎くきジョーンズ警部を演じたジェフリー・ドノバンか。ジョン・マルコビッチが演じた牧師は少し荷が軽かったという印象である。

 Vol.48           ブーリン家の姉妹(2008年/アメリカ・イギリス/ブロードメディア・スタジオ/115分)
■鑑賞日 2009.03.21(土) ■劇場名 札幌 蠍座
■作品データ
■監督 ジャスティン・チャドウィック
■キャスト アン・ブーリン/ナタリー・ポートマン、メアリー・ブーリン/スカーレット・ヨハンソン、ヘンリー8世/エリック・バナ、ジョージ・ブーリン/ジム・スタージェス、トーマス・ブーリン卿/マーク・ライアンス、レディ・エリザベス・ブーリン/クリスティン・スコット・トーマストーマス・ハワード/デビット・モリッシー、ウィリアム・ケアリー/ベネディクト・カンバーバッチ
■ジャンル 中世歴史劇
■あらすじ

16世紀、イングランド国王ヘンリー8世には男子の世継ぎがなかった。いら立つヘンリーが愛人を求めていることを知った、野心家のブーリン卿は義弟のノーフォーク公爵と図らい聡明な長女のアンを愛人候補に仕立てる。彼女が世継ぎの男児を産めば、一族は富と名声が得られる。だが、その目論見は外れ、国王はアンの妹メアリーを見初める。そのときすでに結婚していたメアリーだったが、家族の圧力により、宮中に移り住み国王と関係を結ぶ。メアリーは国王の子を身籠り、次第に優しい国王に惹かれていく。一方、アンは不祥事が発覚し、フランスへ追放されるが、父・ブーリン卿に呼び戻され、王妃の座を狙って策略を巡らす。そして、遂には、フランス仕込みの手練手管で国王の心を掴み、王妃の座を射止める。国王待望の男児を産んだメアリーだが、アンと入れ替わるように、子供とともに失意のまま宮廷を追われてしまう。ブーリン家の野望がもたらした姉妹の確執はいよいよ深まるばかりだった‥。

■コメント

地元では上映機会がなかったこの映画、札幌に出向いた際に、「蠍座」で800円で上映中であることを知る。これは観るしかない訳で、駅北のビル地下にある劇場に足を運ぶ。座席数50ほどのミニシアターだが、いかにも、映画好きが集まるような雰囲気が漂い好感が持てる。ゆったりとした椅子に身体を沈め小さめのスクリーン(2m×4.5m)に目をやる。
この映画は、後に英国黄金時代を築くエリザベス1世の母となるアン・ブーリンと、その妹メアリーの王の寵愛を巡る確執を描く歴史劇であり、時代に翻弄された姉妹の対比的な生き方を描いたものだ。中世イングランド、貴族社会は徹底した階級制度である。そのような状況の中で富と名声を得るためには何をなすべきか。人の考えることに洋の東西の違いはないようである。「政略結婚」「人身御供」‥、呼び方は様々あるのだろうが、利益や欲望のために子供や兄弟姉妹、もしかしたら親までも利用するのである。本作の場合は、国王との愛や世継ぎといった要素も加わり、江戸時代の大奥に酷似した側面もある。世が世とはいえ、我が子を自らの野望実現のために平然と利用する神経は全く理解できないし、それが頓挫しても後悔の情を見せないというのは許し難い思いに駆られてしまった。ブーリン卿の行動を正当化する理由を強いてあげるとすれば、妻にとその一族に対する負い目ではないだろうか。地位や富に拘らず、「愛」だけで貧乏貴族に嫁いできた妻。夫として見返してやりたい気持ちが頭を離れることはなかったに違いない。狂気が漂う家族の中にあって、エリザベス・ブーリンは愛情あふれる妻であり母である。アンに男の操縦法を伝授するシーンなどは本当に親らしい。だが、夫や弟ノーフォーク公爵の野望の前では発言力なく、この時代における女性の地位の低さを物語っている。男中心の社会を象徴しているのが国王である。全てを自分の思い通りに動かしていくが、そこに、人間らしさとか謙虚さをを見出すことはできない、愚かで哀れというしかないが、こんな男が君臨する中世社会の不思議を感じてしまった。ただ、この現象は現代でも一部続いているのだが(笑)。
さて、主役達、アンとメアリーの姉妹である。父親ブーリン卿の野望に翻弄されるという点では共通しているが、生き方は、波乱万丈でドラマチックなアンに対し、あくまで平凡な人生を選択したメアリーということになるだろう。途中までは不本意な人生で、互いの確執もあるのだけれど、後半は自らの意思で歩んでいく。悲劇的な最期を迎える姉アンの凛とした美しさと強さは印象的だし、素朴で優しさを湛えたメアリーからは内面的な決意の固さが伝わってくる。アンを演じたナタリー・ポートマン、メアリー役のスカーレット・ヨハンソン、ともに充分すぎるほど美しいのだが、それにアンの強さとメアリーの優しさが加わりベストのキャスティングといえるだろう。映画の内容からはダブル主役なのだが、クレジット表示のトップにはナタリー。個人的には、スカーレットのファンなのでこの扱いには少し不満が‥。他にキャストで目を引いたのは、母親役の役者クリスティン・スコット・トーマス。彼女の作品はは「イングリッシュ・ペイシェント」しか観ていないが、イギリスの女優さんらしい演技の巧さを感じる。あとは、ジム・スタージェス。どこかで観たと思ったら「ラスベガスをぶっつぶせ」に出ていた。アンの弟役で、姉に近親相姦を迫られたり、最期に斬首刑になったりであまりいい役どころではないが、主役を張るには何かが足りない、そんな感じが払拭できなかった。
男児の世継ぎに拘ったヘンリー8世だが、結局それはならなかった。アンが生んだ女児・エリザベス1世が後のイングランドを統治するというのはいかにも皮肉である。そして、その末裔が今日のイギリス王室であることはもっとサプライズなのかもしれない。それにしても、あの斬首刑のシーンは衝撃的だった。ここで、死刑制度について論じる気はないが、蛮行とはああいう行為をいうのだと思ったものである。作品の評価としては★4個相当とは思うのだが、正直、ヨーロッパ中世宮廷劇はあまり好みでないので★一つ減に。