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 Vol.43            地球が静止する日(2008年/アメリカ/20世紀フォックス/106分)
■鑑賞日 2008.12.20(土) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 スコット・デリクソン
■キャスト クラトゥ/キアヌ・リーブス、ヘレン・ベンソン/ジェニファー・コネリー、レジーナ・ジャクソン(防衛庁書記官)/キャシー・ベイツ、ジェイコブ/ジェイデン・スミス、/ジョン・クリース
■ジャンル SFアクション
■あらすじ

ある日、宇宙から未知の物体と生命体がニューヨークのセントラルパークに現れ、地球上はパニックに陥る。地球に巨大な謎の球体が出現し、そこから降り立った宇宙からの使者は自らをクラトゥと名乗る。地球人達たちはクラトゥらが何のためにこの星を訪れたのか理解するため奔走する中、彼らは人類に対して攻撃を開始し……等に逃れる術はない‥。任務遂行のため、ロボットの“ゴート”を従えて地球に降り立った人間型異星人“クラトゥ”。政府や科学者たちが謎の解明に奔走する中、ある女性と義理の息子は、クラトゥの任務に巻き込まれていく。そして二人は“地球史上最大の危機”が、今まさに訪れていることに気付く…。

■コメント

資料によると、この映画には、1951年公開の同名タイトルのオリジナル版があり、それが57年の時を経てリメイクされたことになる。ロバート・ワイズ監督のオリジナル版は冷戦下のアメリカを舞台に、宇宙からの平和の使者が戦争を続ける人類を説得するストーリーとのことだが、本作は、それとは全く違うテーマの基に制作されている。
私はSF作品を好んで観る方で、この映画も、「地球が静止する日」という邦題がいたく気になり劇場に足を運んだ一本である。つまり、地球が自転を停止したら物理的にどうなるのか、映画はそこをどう描くのか、なんてことを勝手に思い込んでいた訳である。だが、そうではなく、人間が消滅することでその生命活動が静止するあるいは人間の破壊的な活動により地球が滅亡する、という内容で、勘違いもここに極まれりなのである。
さて、肝心の映画だが、時空を越えて地球を見守る知的生命体クラトゥが、人類の前に突如として現れる。彼の目的は地球を救うことで、そのために地球環境を破壊し続ける人類とテクノロジーを抹殺することにあった。だが、ジェニファー・コネリー演じる地球外生物学者のヘレン・ベンソン博士の「私達は変われる」という言葉、そして、彼女と息子ジェイコブとの親子愛を目の当たりにし、人類抹殺を翻意するというお話である。
不思議な球体から登場するクラトゥ、一つ目の巨大ロボット・ゴート、なにやら不気味な出だしは期待感を抱かせるが、それはあっさりと外れてしまう。クラトゥにとって、人間など排除対象以外のなにものでもないはずだが、一人の女性の言葉に接しただけで、人類にチャンスを与えるなどというのはいかにも不自然である。ヘレンの息子ジェイコブは亡くなった父に執着するあまりヘレンに対し素直になれない。非常に難しい役どころをウイル・スミスの実子ジェイデン・スミスが演じていて、ヘレンとジェイコブの親子の絆が強まっていくプロセスもまたクラトゥが翻意する要因となっている。私としては少々辟易しただけだったが、クラトゥは心を揺り動かされたようで涙まで見せる。いかにも陳腐なシーンで思わず苦笑してしまった。
環境破壊という今日的テーマを切り口にしているのは評価できるが、ストーリー上での致命的な欠陥はどうしようもない。また、クラトゥの口から、地球を生き残す必要性が説かれなかった。これは不可欠だと思う。更に、キャシー・ベイツ扮する防衛庁書記官レジーナ・ジャクソンが権力の中枢で活躍するが、人類が滅亡しようかという時に国のトップが出てこないのもあり得ない話である。
産業やテクノロジーの発達に伴い地球環境は危機に晒されており、先進国を中心に世界規模で環境問題への対応を模索しているが、相も変わらず国益や産業中心の議論が幅を利かせている。「地球温暖化」という深刻な状況に直面しているにもかかわらずである。その意味で、本作は地球環境を破壊し続ける人類に警告を促す意図があるのかもしれないが、SFではあまり説得力がない。ヘレンは人間は変われると力説するが、巨視的にいうなら「人間は愚かで変われない」ということを想起させてくれた映画でもあった。そして、同時にこんな疑問が口を衝く。「人類がいなくなれば地球は救われるのか‥(?)」と。

 Vol.44            ワールド・オブ・ライズ(2008年/アメリカ/ワーナー・ブラザース/128分)
■鑑賞日 2009.01.07(水) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 リドリー・スコット
■キャスト ロジャー・フェリス/レオナルド・ディカプリオ、エド・ホフマン/ラッセル・クロウ、ハニ/マーク・ストロング、/ゴルシフテ・ファラハニ、/オスカー・アイザック、/サイモン・マクバーニーョン・クリース
■ジャンル アクション
■あらすじ

米国の諜報機関・CIAの中でも、最高の腕をもつ敏腕工作員ロジャー・フェリス。中東からワシントンまで世界を駆け回っている彼の命運を握るのは、安全なアメリカから電話で指示を出す、冷徹なベテランCIA局員エド・ホフマンだ。彼らはヨルダン情報局責任者ハニとともに、地球規模の爆弾テロを画策するテロ組織リーダー、アル・サリームを追いかけていた。時には身内にまで嘘をつきながら、熾烈な頭脳戦を展開していく彼等だが、アル・サリームを追い詰めるには至らない。そこで、テロ組織おびき寄せるべく、ロジャーとエドは中東に架空のテロ組織をでっち上げ、米軍施設への爆破テロを仕掛ける。ロジャー達の思惑通りアル・サリームが接触を試みてくるが‥。

■コメント

CIAの諜報活動を扱った映画は数知れずあるり、対テロリストを主題にしたそれも珍しくない。その意味ではありふれており、鑑賞意欲をそそるものではないが、ラッセル・クロウとレオナルド・ディカプリオがダブル主役とあっては観ないわけにはいかない。ラッセル・クロウは別として、ディカプリオに関しては「単なる美形」と思っていたのが、「ブラッド・ダイヤモンド」での好演を観て、私的には評価を上げた役者さんである。今度はどんな汚れ役(?)を演じるのか、期待感を込めての鑑賞となった。
この映画、前述したようにテーマに目新しさはないが、設定や展開は驚きの連続で、充分に楽しませてくれたといえる。先ずは、1万2000メートルの上空から群集の中の1人を探し出せる米軍の最新テクノロジーが驚異的である。その探査映像を再現するシーンはとてもリアルで、監督リドリー・スコットによれば、「私が知っている限り、イラクには350以上のプレデター(無人偵察機)がある。多分イランにもね。それらは大体4時間から6時間、上空にいてどんなところまでも追跡して生活の中に入り込んでくる。ポケットに入っている小銭の音までキャッチし、そのレポートをラスベガス近くの軍事施設に送ってくるんだ」という。さもありなんである。しかし、対デジタル戦においては圧倒的な能力があっても、テロリスト達はデジタル機器を使わない訳で、彼等の動向は最新テクの網からこぼれてしまうという事実をも描いているのは面白い。人から人へ直接連絡する原始的なネットワークが、世界一の探査システムに打ち勝つ唯一の方法だというのがなんとも皮肉だ。テロリストの所在を突き止めるために、CIAとヨルダン情報局のハニ・サラームが取る手段も対照的。ホフマンとフェリスのCIA組は騙し作戦でデジタル世界に彼らをおびき寄せ、ハニはアラブ流の仁義で情に訴える。中東を舞台にした対テロ戦というテーマはもはや目新しくないが、この情報戦の設定はすこぶる面白い。

子供の世話をし、スーパーで買出しをしながら、冷酷な指令を電話で命ずるホフマンの描写がユニーク。アメリカの傲慢さを象徴するようなイヤなキャラを軽くコミカルに演じるラッセルのうまさにも改めて感心した。でも、随分とメタボになられたようで、これも役作りなのでしょうか。ラッセルもレオも適役だが、一番の儲け役はハニを演じたマーク・ストロングだ。嘘は嫌いだとフェリスにプレッシャーをかけつつ一番大きな嘘を仕掛けるハニの深謀遠慮がカッコいい。
注目のディカプリオといえば、人情味があり悩めるCIA工作員をそつなく演じていたように思う。勿論、若く美しい女性とのロマンスもあるが、職業柄ことは単純に進まない。テロリストに拘束され処刑寸前にハニに救出されるが、拷問シーンも中々の迫力モノだった。どんなに優秀な工作員でも冷徹非情であることが求められる。当然ながら、ロジャーのような工作員が工作員として生き続けられるはずもなく、愛する女性が住む中東に新たな生き方を求めるべく決断する。果たして、ホフマンはロジャーの決断を認めるのか。それとも、全てを知りすぎたといって抹殺されるのか‥。
政治や経済、紛争の裏舞台で暗躍する諜報機関。「必要悪」と声高に叫ぶのもいいが、彼等が自己増殖し肥大化・暴走した時に何が起こるのか、弊害は嫌というほど見せられてきたことを思い起こそう。エンディングに見るロジャーの人間らしさと希望、そこに僅かな救いを感じたのは私一人だろうか。