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 Vol.33            フィクサー(2007年/アメリカ/ムービー・アイ/120分)
■鑑賞日 2008.06.07(土) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 トニー・ギルロイ
■キャスト マイケル・クレイトン/ジョージ・クルーニー、アーサー・イーデンス/トム・ウィルキンソン、カレン・クラウダー/ティルダ・スウィントン、マーティ・バック/シドニー・ポラック、バリー・グリッソム/マイケル・オキーフ、/デニス・オヘア、/ジュリー・ホワイト
■ジャンル ドラマ
■あらすじ

マイケル・クレイトンは、N.Y.最大の法人向け法律事務所に勤務するエリートスタッフ。だが彼は弁護士ではない、隠された罪の“もみ消し屋=フィクサー”である。元・検察官だったクレイトンは、事務所の共同設立者であるマーティ・バックの強い要請により、事務所内の最も汚い仕事を受け持っていたのだ。そんなある日、彼はまた新たな“もみ消し”の依頼を受ける。全米を揺るがした3,000億円にのぼる薬害訴訟で、製薬会社が有利なうちに解決されようとしていたその時、大規模集団訴訟を担当中の同僚弁護士アーサー・イーデンスが全てを覆す秘密を握り、その暴露を目論んでいたのだ。だが数日後、彼は死亡。事実を知らされたクレイトンは、不審な死の真相を追究していくうちに、企業の隠蔽工作にとどまらぬ、巨大な陰謀に自らが巻き込まれていることに気づく…。

■コメント

この映画、主演のジョージ・クルーニーが今年度アカデミー賞にノミネートされ、ティルダ・スウィントンが同助演女優賞を受賞した作品である。それなりにメジャーな映画ということになるが、テーマそのものはオーソドックスなそれと言えるだろう。つまり、もみ消し専門の主人公が同僚の死をきっかけに掴んだ大企業の決定的な秘密を暴露する、というお話である。そこで、私の鑑賞ポイントとしては、専ら、陰謀のスケール感や緊迫感をどう映像化されているのかに関心があった。
この映画も、最初にマイケルの愛車ベンツが爆発・炎上し(なんと勿体ない)、何故そうなったのか、ストーリーは4日前に遡りスタートする。
心なしかこの手の構成が最近多いような気がするが、個人的にはあまり好きな手法とはいえない。
今更、企業倫理を持ち出すつもりはないが、人間優先とか環境に優しいとか、企業はイメージアップに躍起となっているが、所詮、利潤最優先の組織体であり、損失まで出して企業活動を継続する理由はないのである。綺麗ごとではすまない事案があることも想像に難くない。しかし、その処理に企業が直接関わるのは賢明とは言えず、映画では中堅弁護士事務所がその役割を担うことになる。何しろ、圧倒的な取引量のクライアントであり、彼等の意に反することはタブーなのだ。白を黒に、黒を白に、そこに善悪の判断をする余地はほとんどないのだろう。フィクサーの内面的な葛藤は察するに余りあるものがある、それとて、映画の主人公のように、8万ドルもの借金を抱えていては、青臭い正義感など全く無力であり、クライアントの言いなりなるしか術はない。とまあ、こんな構造がいたるところで構築されているに違いない。長々と背景に触れたのは、それだけ強固な体制を打ち破るのは物理的にも精神的にも至難の業だということであり、映画の中ではさりげなく絶望的に描かれている。秘密を暴露しようとした同僚弁護士は精神病扱いされ、挙句は殺されてしまう。入院させろと指示した上司が彼の死後に、厄介払いができたというニュアンスを示唆するシーンは印象的である。
当然ながら、企業側にも表の顔とは別に、ダーティな仕事を担う部署がある。ティルダ・スウィントン演じるカレンである。強い上昇志向と冷徹な倫理観の持ち主で、企業和解に持ち込むために画策する。好演してはいたが、果たしてオスカーを手にするほどのものだったかは少々疑問である。
さて、主人公マイケルの行動だが、同僚弁護士アーサーの死後に企業の重大な秘密を知るが、一旦は、8万ドルと引き換えに闇に葬るが、自分の命が狙われていることを知るに及んで、暴露を決意したように描かれている。さながら、窮鼠猫をかむといった構図である。最後のシーンで、フィクサーとしての凄みを発揮するマイケルとは対照的に、明らかに動揺し崩れゆくカレンがなんとも可哀そうなくらいである。結果として、最後は正義の決断を下したマイケルだが、このあと彼はどうなってしまうのか。フェードアウトしてしまいそうな予感を抱きながら、エンドロールを眺めていた。
映画そのものの出来としては、大作として観れば物足りなさは否めないが、致命的な綻びもなく平均的な出来といえるだろう。ただ、感心するのはジョージ・クルーニーの演技で、この役者さんは、コミカルな役もシリアスな役もしっかりこなせるということ。個人的にはコミカルな役柄が好きだが‥。

 Vol.33            フィクサー(2007年/アメリカ/ムービー・アイ/120分)
■鑑賞日 2008.06.07(土) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 トニー・ギルロイ
■キャスト マイケル・クレイトン/ジョージ・クルーニー、アーサー・イーデンス/トム・ウィルキンソン、カレン・クラウダー/ティルダ・スウィントン、マーティ・バック/シドニー・ポラック、バリー・グリッソム/マイケル・オキーフ、/デニス・オヘア、/ジュリー・ホワイト
■ジャンル ドラマ
■あらすじ

マイケル・クレイトンは、N.Y.最大の法人向け法律事務所に勤務するエリートスタッフ。だが彼は弁護士ではない、隠された罪の“もみ消し屋=フィクサー”である。元・検察官だったクレイトンは、事務所の共同設立者であるマーティ・バックの強い要請により、事務所内の最も汚い仕事を受け持っていたのだ。そんなある日、彼はまた新たな“もみ消し”の依頼を受ける。全米を揺るがした3,000億円にのぼる薬害訴訟で、製薬会社が有利なうちに解決されようとしていたその時、大規模集団訴訟を担当中の同僚弁護士アーサー・イーデンスが全てを覆す秘密を握り、その暴露を目論んでいたのだ。だが数日後、彼は死亡。事実を知らされたクレイトンは、不審な死の真相を追究していくうちに、企業の隠蔽工作にとどまらぬ、巨大な陰謀に自らが巻き込まれていることに気づく…。

■コメント

この映画、主演のジョージ・クルーニーが今年度アカデミー賞にノミネートされ、ティルダ・スウィントンが同助演女優賞を受賞した作品である。それなりにメジャーな映画ということになるが、テーマそのものはオーソドックスなそれと言えるだろう。つまり、もみ消し専門の主人公が同僚の死をきっかけに掴んだ大企業の決定的な秘密を暴露する、というお話である。そこで、私の鑑賞ポイントとしては、専ら、陰謀のスケール感や緊迫感をどう映像化されているのかに関心があった。
この映画も、最初にマイケルの愛車ベンツが爆発・炎上し(なんと勿体ない)、何故そうなったのか、ストーリーは4日前に遡りスタートする。
心なしかこの手の構成が最近多いような気がするが、個人的にはあまり好きな手法とはいえない。
今更、企業倫理を持ち出すつもりはないが、人間優先とか環境に優しいとか、企業はイメージアップに躍起となっているが、所詮、利潤最優先の組織体であり、損失まで出して企業活動を継続する理由はないのである。綺麗ごとではすまない事案があることも想像に難くない。しかし、その処理に企業が直接関わるのは賢明とは言えず、映画では中堅弁護士事務所がその役割を担うことになる。何しろ、圧倒的な取引量のクライアントであり、彼等の意に反することはタブーなのだ。白を黒に、黒を白に、そこに善悪の判断をする余地はほとんどないのだろう。フィクサーの内面的な葛藤は察するに余りあるものがある、それとて、映画の主人公のように、8万ドルもの借金を抱えていては、青臭い正義感など全く無力であり、クライアントの言いなりなるしか術はない。とまあ、こんな構造がいたるところで構築されているに違いない。長々と背景に触れたのは、それだけ強固な体制を打ち破るのは物理的にも精神的にも至難の業だということであり、映画の中ではさりげなく絶望的に描かれている。秘密を暴露しようとした同僚弁護士は精神病扱いされ、挙句は殺されてしまう。入院させろと指示した上司が彼の死後に、厄介払いができたというニュアンスを示唆するシーンは印象的である。
当然ながら、企業側にも表の顔とは別に、ダーティな仕事を担う部署がある。ティルダ・スウィントン演じるカレンである。強い上昇志向と冷徹な倫理観の持ち主で、企業和解に持ち込むために画策する。好演してはいたが、果たしてオスカーを手にするほどのものだったかは少々疑問である。
さて、主人公マイケルの行動だが、同僚弁護士アーサーの死後に企業の重大な秘密を知るが、一旦は、8万ドルと引き換えに闇に葬るが、自分の命が狙われていることを知るに及んで、暴露を決意したように描かれている。さながら、窮鼠猫をかむといった構図である。最後のシーンで、フィクサーとしての凄みを発揮するマイケルとは対照的に、明らかに動揺し崩れゆくカレンがなんとも可哀そうなくらいである。結果として、最後は正義の決断を下したマイケルだが、このあと彼はどうなってしまうのか。フェードアウトしてしまいそうな予感を抱きながら、エンドロールを眺めていた。
映画そのものの出来としては、大作として観れば物足りなさは否めないが、致命的な綻びもなく平均的な出来といえるだろう。ただ、感心するのはジョージ・クルーニーの演技で、この役者さんは、コミカルな役もシリアスな役もしっかりこなせるということ。個人的にはコミカルな役柄が好きだが‥。

 Vol.34            ジュノ(2007年/アメリカ/20世紀フォックス映画/96分)
■鑑賞日 2008.06.21(土) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 ジェイソン・ライトマン
■キャスト ジュノ/エレン・ペイジ、ポーリー/マイケル・セラ、ヴァネッサ/ジェニファー・ガーナー、マーク/ジエイソン・ベイトマン、継母ブレン/アリソン・ジャネイ、父マック/J.K.シモンズ、リア/オリヴィア・サルビー
■ジャンル ヒューマンドラマ(青春)
■あらすじ

16歳の女子高生のジュノは、いつもの退屈な午後、気取らないところが魅力的なクラスメイト・ポーリーと関係を持ち、予定外の妊娠をしてしまう。中絶するつもりだったが、同級生に「赤ちゃんにはもう爪も生えているわよ」と言われ、産む決心をする。生まれてくる赤ちゃんを里子に出すことにしたジュノは、親友のリアとともに、養子を望む裕福な夫婦、マークとヴァネッサを見つけ、里子契約を交わす。9か月間を通して、体形の変化とともに、様々な感情に揺さぶられながらも、大人になるための問題に真正面からぶつかっていくジュノ。そこには、家族や友人達の支えがあったが、出産間際になって里親カップルに異変が‥。

■コメント

この映画は、今年度アカデミー賞主要4部門にノミネートされ、脚本のディアブロ・コディがオスカーを受賞した作品である。デビュー作での快挙となったシンデレラガールだが、職業を転々とするなど、脚本家としては異色の経歴の持ち主でもある。
最初に触れておかなければならないのは、女子高生の妊娠・出産というテーマについてである。いかに、アメリカといえどもショッキングな話だと思うのだが、登場する人達はほとんど平然と事実を受け止めている。親友は「激ヤバ」で済ませるし、親もうろたえたり、怒り狂うことはない。私など、激高してしまうに違いないと思うが‥。学校側も特別な対応はしないし、生徒達の奇異な眼差しもあまりない。「里子求」なんていう広告が珍しくないお国柄とすれば、やはり、日本とは事情が違うようである。何より、本人に悪ぶれた様子や後ろめたさがない。それ故、シリアスなテーマにも関わらず、深刻さはほとんどない。軽いノリでSEXし妊娠、中絶するつもりが同級生の一言や病院の雰囲気や対応が気に障り、産むことを決意する。実に安易で、コメディタッチさながらの展開なのだ。どうしても違和感を払拭出来なかったというのが正直なところだ。
映画の「軽さ」が目立つだけに、ここぞというシーンにはズシリとした重みが出る。女性の検査技師がジュノのお腹をスキャンしながら「10代の子育ては無理」というと、継母が「あなたは単なる検査技師、肩書きでものを言うな!」と一括したり、ジュノが父親に「愛する人といつまでも一緒に暮らすことは無理なの」と問うと、「ありのままのお前を受け入れ、愛してくれる人ならずっと一緒にいられる」と説いたりする。その言葉で、彼女は本当に大切な物に気づくのである。こんなアドバイスできる親どれほどいるだろうか。ただ、ケチをつける訳ではないが、いささか言葉足らずのような気もする。いくら飾らないありのままの自分、であっても互いに心身を高める努力を忘れてはならない。適度な緊張感なき関係は、腐敗と打算しか生み出さないのだから。
映画は、里親カップルの心の揺れや戸惑いなどについても丹念に描いている。どこか他人事の夫に対し、赤ちゃんが待ちきれず、オモチャや壁の色で悩む女。里親になることの温度差や本音が徐々に頭をもたげ、やがて埋めようのない溝となってしまう。こともあろうに、ジュノの出産間近になって破局が訪れる。子供を持つことで、夫婦の絆がより確かなものになるはずが、その逆とは何とも皮肉である。赤ちゃんはどうなってしまうのか、気をもむが、ジュノが「あなたがその気なら私もその気よ」と女性に伝える。そこには、女同士の連帯感が感じられ、男としては、少しだけ疎外感を覚えてしまった。ここのところは、女性脚本家の意思と感性が込められているようでもある。
キャストでは、ジュノ役を演じたエレン・ペイジだろう。シニカルで傍若無人、子供でもなく大人でもない微妙な年頃を好演していた。よく「等身大」という表現があるが、正にアレなのだ。これが演技だとすれば彼女は天才だし、もし、地であれば、これほどのはまり役はないだろう。幸か不幸か、暫くの間、彼女にはジュノのイメージが付きまとうに違いない。
作品全体としては、アカデミー賞4部門にノミネートされるほどの出来にはないようだが、普通の(?)青春映画とも明確に一線を画していることは間違いない。評価としては4に近い「3」が妥当か。