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 Vol.29            ミスト(2007年/アメリカ/ブロードメディア・スタジオ/125分)
■鑑賞日 2008.05.14(水) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 フランク・ダラボン(兼脚本)
■キャスト デヴィッド・ドレイトン/トーマス・ジェーン、ミセス・カーモディ/マーシャ・ゲイ・ハーデン、教師アマンダ・ダンフリー/ローリー・ホールデン、弁護士ブレント・ノートン/アンドレ・ブラウアー、副店長オリー・ウィークス/トビー・ジョーンズ
■ジャンル サスペンス・ホラー
■あらすじ
巨木が倒れ窓ガラスが割れるほどの激しい嵐が街を襲った翌日、湖の向こう岸に不穏な霧が発生していた。デイヴィッドは不安に駆られながらも妻を残し、息子のビリーを連れ、隣人の弁護士ノートンと街へ買い出しに向かう。3人がスーパーマーケットに入ろうとすると、店内は大混乱。外では軍人が歩き回り、サイレンが鳴り続ける。すると、ひとりの中年男が叫びながら駈け込んで来た。「霧の中に何かがいる!」と。店外を見ると深い霧が駐車場を覆っていた。設備点検のために外に出た店員のジムが不気味な物体に襲われると、店内の人々は次第に理性を失いはじめていく。宗教めいた言葉を口走る女性の存在が混乱と動揺に拍車をかける。やがて、窓ガラスに鳥とも巨大な昆虫ともつかぬ生き物が‥。
■コメント

「霧」と「恐怖が」がリンクするシチュエーションは2005年のアメリカ映画「ザ・フォッグ」と同様である。この映画で霧が運んできたものは、100年前に難破した船の乗組員達=ゴーストだったが、ミストでは何を運んでくるのか。原作がホラーの巨匠スティーヴン・キングだけに楽しみにしていた作品ではあった。
ホラー映画のポイントは、「恐怖」をどう描くかにあるのだと思う。一つは、おぞましい姿形で恐怖心をそそるという平均的なパターンで、このタイプはいきなり恐怖のどん底に突き落とされるが、時間の経過とともに「慣れ=マヒ」が生じてそれは低減していく。他方は、実態を示さず「不可解」だけを誇張することで、恐怖をイメージさせ増幅させるタイプである。この場合は、当然ながら、訳が分かるまで恐怖心は自己増殖し続ける。
本作は基本的に後者の手法を用いていて、後半半ばあたりでようやく恐怖の正体が見えだしてくる。それまでは、恐怖は小出しされ不可解さが続く。狭い店内に閉じ込められた人達は恐怖からパニックに陥っていく。最初は単なる意見の相違程度なのだが、次第に険悪化し遂には殺人にまで至る。冷静時では考えられないことなのだが、狂信的なミセス・カモーディの扇動によって引き起こされる。このあたりの人間の心理描写・内的恐怖は実によく描かれていて、冷静でいられることのほうがむしろ難しいと思ってしまう。やはり、人間とは本質的に弱く愚かなのだと思う。
極限状態に置かれてグループは二つに分かれる。ミセス・カモーディは、神のお告げだといい、店に留まり生贄=人間の命を差し出すことで救われると説く。一方、デイヴィッド達はそんな狂気を受け入れられるはずもなく、店からの脱出を決意する。ラスト近くなって、霧の中にいる「何か」と軍事研究の関係が明らかになり、外敵恐怖の正体も見えてくる。巨大なその姿、そしておぞましさ。デイヴィッド達は燃料の続く限り車を走らせるも霧を抜け出すことができない。万策尽き、絶望した彼らが選択した道は‥。エンディングはとてもショッキングで、ネタばらしするのはやはり気が引けるのでやめておくが、こういう終わり方には異論もあると思う。狂気と闘った勇気ある人間を何故‥、と。でも、全ての恐怖は人間が作り出したものであることを知った彼等は狂わずにはいられなかったはずである。そうはなりたくないから、「理性」ある人間でありたかったから選択した結末であったと思いたい。映画のミニパンフに「震撼のラスト15分」とあるが、それはこの種のコピーにありがちな過剰表現では全くなかった。
この話は一つのスーパーマーケット内でのそれだが、条件さえそろえば狂気が組織を、社会をコントロールすることは容易である。ナチスや日本軍国主義などは狂気そのものだし、スターリンの大粛清、ルワンダやチベットの大量虐殺などもそうだろう。人間の歴史は愚かさと狂気の連続と言っても過言ではない。
キャストでは、何といっても狂信的なミセス・カーモディ役を演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンである。地味な印象だが、圧倒的な演技で存在感を発揮していた。調べてみるとオスカー女優、なるほどと納得したものである。

とにかく、この映画を観て恐怖の描き方がとても巧みなことに感心してしまった。得体のしれないものに対する恐怖が狂気を呼び起こし修羅場をつくりだす、そして、外的恐怖の実態を明らかにする。最後まで、恐怖の連鎖から抜け出すことはできなかった。全く個人的なことだが、父が「本当に怖いのは人間だよ」と言ったことを思い出してしまった。

 Vol.30            プライスレス 素敵な恋の見つけ方(2006年/フランス/シネカノン/104分)
■鑑賞日 2008.05.21(水) ■劇場名 CINEとかちプリンス
■作品データ
■監督 ピエール・サルヴァドーリ
■キャスト イレーヌ/オドレイ・トトゥ、ジャン/ガド・エルマレ、/マリー=クリスティーヌ・アダム、/ヴァーノン・ドプチェフ、/ジャック・スピエセル、/アンヌリーズ・ヘスメ
■ジャンル ラブ・コメディ
■あらすじ
玉の輿を狙うイレーヌは、高級ホテルで働く内気なジャンを億万長者と勘違いし、一晩を共にする。しかし、彼の本当の姿を知ったイレーヌはすぐにジャンの前から姿を消してしまう。彼女にとってジャンは対象外だったのだ。一方、イレーヌに恋をしたジャンは彼女を忘れることが出来ず、コートダジュールまで追いかけていく。そして再会した二人だったが、ジャンはあっという間にお金を使い果たしてしまい、ひとり途方に暮れることに。そんな時、ジャンはある裕福な女性に見初められ、その同伴者として高級ホテルに滞在するようになる。イレーヌから恋愛テクニックを教わったジャンは、序々にジゴロらしくなっていく。やがて同業者になった二人は距離を縮めていき、イレーヌはいつしか彼に惹かれていく…。
■コメント

一週間前に見た「ミスト」が意外と重かったので、少し軽い映画をと思っていたらこの「プライスレス 素敵な恋の見つけ方」に出会った。タイトルからも、いかにも陳腐な内容が覗え、これなら肩を張らずに観られるだろうという目算である。ただ、フランスのラブ・コメディなので、良い意味で期待を裏切ってくれることを願いつついつもの階段を上がっていく。
なんとこの日は、私が映画を観るようになってはじめての貸切上映だった。結果として、私ひとりのための映画となり、思わぬところで緊張感を強いられることとなってしまった(笑)。
映画の方はというと「軽妙洒脱」という表現がピッタリの内容で、高級リゾートホテルを舞台に、シャネル、グッチ、エルメス、セリーヌなどのブランド品に身を包んだジゴロやジゴレット達がお金と幸福を求めて蠢く、というものである。この映画の設定で面白いのは、好きになった女性がジゴレットだったということ。金もテクニックもない男が相手にされるはずもないのだが、その必死さが彼女に伝わり、ジゴロとしてのテクを伝授したりする。貢がせる時は「尻切れ言葉」、例えば「実を言うと‥」とか「是非‥」とか、を使うといった具合である。彼が、彼女の言うとおりすると高価な貢物が簡単に手に入ったり、彼女から仕入れた知識をさも自分のそれのように披露し女性を感心させたりする。みすぼらしいジャンバー姿からブランド物のスーツが似合う魅力的なジゴロに変身していくジャン。映画はこの変貌ぶりを巧く描いている。微笑ましいのは彼の視線の先には常にイレーネがいるということである。一見ドライな映画内容だが、実はとても純なところがいい。そして、映画は節目節目で一枚のユーロコインが登場する。それは二人にとって運命のコインであり、特別の意味を持つものだった。映画のタイトルの「プライスレス」もこのコインと深い関わりがある様な気がする。たぶん、値がつけられない、お金で買えないものがこの世にあるのだといった意味だろう。
「富」と「幸福」が少なからずリンクするこの世界だが、お金はあるところにはあるもので、湯水のごとく使っても使い切れない人達もいる。若くはないが、経済的には恵まれている超富裕層。彼等はその財力で若さと快楽を手にする。その一方で、お金には縁がなく、あるのは若さと強い幸せ願望だけという人間。如何にして玉の輿に乗るか、そこには、騙し合いや駆け引きといった打算が働く。映画はそんな世界の内幕もさらりと描いていて興味深い。ヨーロッパは日本などよりははるかに進んだ階級社会で、階級間の移動や交流は厳しいというのが定説だった。今はそんなことはないのだろうが、社会背景などを考えていると、ふと、その名残でもあるのかと思ってしまった。
さて、映画はその他にも見所がある。イレーヌやジャンの着こなすブランド品は勿論だが、高級ホテルの厨房やスイートルームが登場したりもする。私など、縁のない世界だけに惹かれるものがある。
あとは、オドレイ・トトゥ。「アメリ」や「ダ・ヴィンチ・コード」などの作品で有名だが、華奢な体形に秘めたる優しさと強い意思、流石にフランスの女優さんだと思わせるものがある。映画の中でも、お洒落にドレスを着こなし、金持男達をを手玉に取りつつも、どこかに純粋さを漂わせている、そんな役どころを好演していたように思う。
ともかく、ひと時、リッチな生活を疑似体験できたし、笑いも切なさも共有できた。ドロドロとした重さもなく、さりとて軽すぎもせず、いかにもフランスらしいエスプリの利いたラブ・コメディだった。
エンディングで登場する一枚のユーロコイン。それは、イレーヌとジャンを幸せの地へ運んでくれるに違いない。ホットで爽やかな気分に包まれながら映画館を後にしたことはいうまでもない。