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 Vol.23            ジャンパー(2008年/アメリカ/20世紀フォックス/88分)
■鑑賞日 2008.03.10(月) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 ダグ・リーマン
■キャスト デヴィッド/ヘイデン・クリステンセン、ミリー/レイチェル・ビルソングリフィン/ジェイミー・ベル、ローランド/サミュエル・L・ジャクソン、母親/ダイアン・レイン、ミリー(高校時代)/アナソフィア・ロブ
■ジャンル アクション(SFアドベンチャー)
■あらすじ ミシガン州で育ったデヴィッドは、同級生のミリーに思いを寄せるごく普通の高校生。しかし、川で溺れそうになった時、彼は自分に備わった途方もない才能に気づくことになる。冷たい川底から一瞬にして、図書館へとジャンプしていたのだ!。母が家を出て以来、人が変わってしまった父との生活にうんざりしていたデヴィッドは、1人ニューヨークへと向かう。15歳の彼が生きていくため次に瞬間移動したのは、銀行の金庫室だった。まんまと大金をせしめたデヴィッドだが、その存在に気づいた男がいた。ジャンパーを悪とみなし、彼らの抹殺を使命とする組織、「パラディン」のローランドである。10年後、デヴィッドはニューヨークからロンドンへ、オーストラリアの海へ、東京の繁華街へ、エジプトのスフィンクスへと飛び回り、ジャンパーの特権を謳歌していたが、孤独であることに変りはなかった。そんな時、ミリーと再会を果たし、ローマでのデートに誘う。楽しいひとときを過ごした二人の前に、グリフィンという青年が現れる。彼もまたジャンパーだったのだ。戸惑うデヴィッドはパラディンたちの襲撃に遭い、ジャンパーの宿命、そして母が秘めていた重大な秘密を知る…。
■コメント

人間が物理の法則を超えて、好きなところへ瞬時に移動できるとしたら‥。この映画は、そんな特殊な能力を持つ人間=ジャンパーが主役である。原作は、スティーヴン・グールドの傑作SF小説「ジャンパー 跳ぶ少年」。娘のリクエストで観た映画なので、私自身、ほとんど期待していなかったのだが、結論的には予想通りの凡作だった。
 先ず、ストーリーが粗っぽく、何故、どうして、といったシーンが随所に認められたことである。ジャンパーとしての能力を持つに至ったプロセスや、彼らの役割などが全く明かされない。そもそも、何故ジャンプできるのか、その理論的説明はない。勿論、想像の世界ではあるのだが、少なくともヒントくらいは示すべきだろう。そして、ジャンパーの抹殺を使命とするパラディンや、主人公が5歳の時に家を出た母親の存在も謎に包まれている。とにかく疑問符だらけなのである。
突如として自らの能力に目覚め、リッチな生活を楽しんでいたら他のジャンパーと出逢う。ここからパラディンとの熾烈なバトル展開されていく。これだけのストーリーなのである。恋人や母親との関係も描かれるが、映画に深みを与えるほどのものではない。要するに、ストーリーの軸が希薄なわけで、ここが量的・質的にスケールアップ出来れば違った印象となるだろう。例えば、「ジャンパー対パラディン」の闘いと並行して地球的危機に立ち向うとか、内に目を向ければ、ジャンパーとしての苦悩に迫るのも必要だ。究極の自由と可能性を手にした代償や、選ばれし者の宿命などについて言及するのは当然だろう。
粗雑なストーリーに比べると、映像的には楽しめるシーンが多い。スピード感溢れるアクションシーンは流石に「ボーン・アイデンティティー」のダグ・リーマンだと思う。特に、ジャンプシーンが目を引く。車をジャンプしたり、建物ごとのそれもあって面白い。スフィンクスの上での日光浴、「エベレストの頂上に連れて行くぞ」との脅し台詞、ジャンパーならではといったシーンだ。とにかく、ニューヨーク、ロンドン、オーストラリア、サハラ砂漠、上海、パリ、ローマ、香港、そして東京といった世界の観光名所がジャンプの舞台であり、パラディンとの闘いの場となっているのだ。
キャストでは、スターウォーズエピソードシリーズで若きダース・ベイダー役のヘイデン・クリステンセンが主人公のデヴィッドを演じているが、精悍なマスクは中々いい(少し決まりすぎかも)。宿敵パラディンのリーダー役がサミュエル・L・ジャクソンで、強すぎる悪役(?)を好演していた。恋人役ミリーはレイチェル・ビルソンという女優さんだが、綺麗系でも可愛系でもなくイマイチの感じは否めない(実生活でも交際中らしいが‥)。彼女の高校時代を演じるのがアナソフィア・ロブ。例の「テラビシア‥」のヒロインである。冒頭に少しだけしか登場しないが、やはり輝いていた。彼女をそのまま起用すれば良かったと思うのは私だけだろうか。後は、母親役のダイアン・レイン。少し老けたかなあ(笑)。
 映画そのものは不出来だが、あまりにも謎だらけの内容から考えると、アメリカだけに続作も予定の内なのかもしれない。素材は確かにいいものがある訳で、後はどう料理するかだが、出だしでの躓きは大きなハンディとなるに違いない。

 Vol.24            魔法にかけられて(2007年/アメリカ/ウォルト・ディズニー/108分)
■鑑賞日 2008.03.23(日) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 ケヴィン・リマ
■キャスト ジゼル/エイミー・アダムス、ロバート/パトリック・デンプシーエドワード王子/ジェームズ・マースデン、ナレッサ女王/スーザン・サランドン、モーガン/レイチェル・カヴィ、ナンシー/イディナ・メンゼル
■ジャンル SFファンタジー
■あらすじ おとぎの国「アンダレーシア」で動物達と暮らす心優しいプリンセスのジゼルは、ある日、怪物に襲われエドワード王子に助けられる。お互い一目惚れし、出会ったばかりにも関わらず、完璧なデュエットを披露し、翌日結婚する約束をする。しかし、王子の結婚を喜ばない継母のナレッサ女王は、魔女を送り込み、ジゼルを井戸に突き落とす。なんと、その井戸は、おとぎ話の国とは正反対の刺激的な現代のニューヨークに繋がっていた。大都会では浮きまくり、途方にくれたジゼルが出会ったのは、バツイチ・子持ちの弁護士・ロバート。超現実的なロバートに、ジゼルは永遠の愛を伝えようとするのだが上手くいかない。ジゼルの婚約者、エドワード王子も彼女を救うべくNYにやってくるが、魔女も、そして、継母ナレッサ女王までもがやってきて、ニューヨークの街は大混乱に陥る。果たしてジゼルは魔女の呪いを解いておとぎの国に帰ることは出来るのか…。
■コメント

ファンタジーの世界と現実世界が結びつくとどんな映画が出来上がるのか。「2008年春ディズニーはディズニーを超える」というコピーが少し胡散臭い気もするが、映画館に足を運ぶ障害とはならなかった。
ファンタジーの世界がアニメーションで、現実世界が実写という手法だが、違和感は全くなく。なるほどこういう作り方もありだなあと納得してしまった。このふたつの世界の入口であり、出口でもあるのが古井戸とマンホール。発想は中々面白い。突如として、現代のNYに追放されたジゼル。当然ながら、その存在の全てがミスマッチなのだが、彼女の発するオーラは徐々にNYっ子の心を掴んでいく。キーワードは愛であり、その純粋さに心打たれるのである。殺伐とした現代だけにホットする展開である。また、王子や女王の手先の引き起こす混乱やドタバタは笑いを誘うし、動物達も可愛い。クライマックスはジゼルを亡き者にしてしまおうと企むナレッサ女王との対決である。演じるは、あのスーザン・サランドン。この女優さんは何を演じても巧いが、今回も迫力モノの悪役だった。ただ、何処かに優しさを秘めているように見えたのは私の気のせいだろうか。試練というものは辛く苦しいものだが、時として真実を浮き彫りにする。毒リンゴとキスの話はあまりにもありきたりだが、窮地に陥ったジゼルはホンモノの愛を見つける。やはり、何事も試される必要があるのだ(う〜ん、含蓄あるなあ)。
この映画はほとんどミュージカルで音楽もふんだんに登場する。この内、3曲(★Happy Working Song★So Close★That's How You Know)が本年度アカデミー賞オリジナル歌曲賞にノミネートされており、注目していたが、さほどインパクトのある曲とは思えなかった。尤も、今回観たのは吹替バージョンで、台詞くらいならまだしも、音楽までそれなので原曲のイメージが崩れてしまったのかもしれない。春休期間中で、おとぎ話をベースにした内容から吹替バージョンを選択したのだろうが、映画芸術という視点で考えると邪道だといわざるをえない。更に、映画館が意図するより、大人の観客が多いのではないだろうかという気もする。事実、私が観た時は大人ばかりだった。
ヒロインのジゼルを演じるのはエイミー・アダムスという女優さん。プリンセスとしては、醸し出す分意気がイマイチで、適役とは言い難いが懸命な演技ぶりは伝わってきたので良しとしよう。ただ、舞踏会で登場するシーンは驚くほどエレガントだったことを付記しておこう。
ともあれ、この映画はディズニーのファンタジーなのであるから、矛盾や疑問があろうともそれを気にしてはいけない。重箱の隅をつくのではなく、子供の気持に戻ってハッピイエンドの映画を存分に楽しめばいいのである。