mysoarertown.com Cinema Diary(私の映画日記)                              2001.05 start/2005 02 01 renewal start
トップ  自己紹介  マイソアラ  登山トップ  ギャラリー  ブック  BBS リンク

マイソアラタウンはリンクフリーですが、予告なく閉鎖することがありますのでご了承下さい。

メッセージはこちらまで

copyrigrt(c)2001〜2004 shun1@ikeda All rights reserved

 Vol.17             テラビシアにかける橋(2007年/アメリカ/95分)
■鑑賞日 2008.02.01(金) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 ガボア・クスポ
■キャスト ジェス・アーロンズ/ジョシュ・ハッチャーソン、レスリー・パーク/アナソフィア・ロブ、ジャック・アーロンズ/ロバート・パトッリク、エドマンズ先生/ズーイー・デシャネル
■ジャンル SFファンタジー
■あらすじ 貧しい家庭にあって姉妹4人に囲まれ窮屈に暮らす少年ジェス。唯一の楽しみはこっそりと絵を描くことだった。ある日、彼のクラスに個性的で風変わりな転校生・レスリーがやってくる。学校の雰意気に馴染めない2人は家が隣同士ということもありすぐに親しくなる。彼女もまたジェス同様、家庭でも深い孤立感を感じていたのだった。ここからジェスの憂鬱な日々は一変する。自由な発想と行動力を持つレスリー。彼女のリードで2人は森の中に“テラビシア”という空想の王国を創り上げる。聳える山、美しい湖と森、お城、巨人‥、現実の世界では集団生活にうまく溶け込めないが、テラビシアでは王と女王となって国を取り仕切ることができるのだ。初めて心を許せる友達に出会った2人。しかし、そんな楽しい日々は長くは続かなかった。ジェスが憧れのエドマンズ先生と美術館に行っている間に、レスリーが事故に遭ってしまう‥。
■コメント

物語の原作はキャサリン・パターソンの同名の児童小説。世界で500万部以上の売上を誇るベストセラーで「国際アンデルセン賞」を受賞しているという。メジャーな作品であればあるほど、映画化にはある種の勇気が必要になる。つまり、映像化することで原作のイメージが崩れてしまうのではないかという危惧である。尤も、その逆もある訳で、本作の場合はどちらになるのだろうか。幸いというべきか、私は原作を読んでいないのでコメントのしようがないが‥。
 人が大人になるまでの成長過程で経験しておかなければならないこと数知れずある。学ぶこと、夢をもつこと、友情を育むこと、人を愛すること、困難や苦痛を乗越える力‥。悲しいかな、現実社会では例えば「子供らしく」振舞うことを許してくれない環境がある。つまり、課題をクリアしないまま成長してしまう。外見は立派でも心病んだ若者や大人達(私も含め)が多いのも当然なのだ。歪んだ人間で構成する社会は健全さを欠く。これは個々人の問題ではなく、国にとっても由々しき事態と言えるだろう。教育論も百家争鳴だが、少なくとも、統制と管理を強める今日の教育論に私は組しない。
 少し前置きが長くなってしまったが、映画は少年・少女期の豊かで自由な発想や想像力、そして行動力を描いている。貧しさ故にスニーカーも姉のお下がり、ピンクラインを黒く塗って履く少年ジェス。走ることと一人隠れて描く絵、彼が厳しい現実から逃れられる瞬間であろうことが伝わってくる。上級生やいじめっ子に気を使い、トイレもタダでは使えない学校。孤立し喜びを見出せない小社会に彼は置かれていたのである。そこへ登場したレスリー。ヘアースタイル、ファション、発言‥。ジェスにとってあまりに衝撃的だったに違いない。実際に彼女のような転校生がいたらモテモテ間違いなしだが、映画の中では見向きもされない。その後は、彼女の発するオーラに導かれるように「心の扉を開いて」森の中に空想の王国テラビシアを創っていく。現実から空想への移行の描き方がひとつのポイントで、勿論CGだが、大袈裟でもなく、さりとて押さえすぎというのでもなく、適度な映像表現だったと思う。そして、テラビシアは二人にとって単なる現実逃避の世界ではなく、空想する力が現実にフィードバックされ状況は少しづつ変わっていく。そのところが学校での出来事を通じてさりげなく描かれている。ジェスが密かに想いを寄せる音楽担当のエドマンズ先生、あんな先生がいたら音楽大好き人間ばかりになると思うが‥。彼女はジェスの絵の才能を認め彼を美術館に連れて行く。映像は隣に住むレスリーの家の窓を映し出す。ジェスの揺れる心がよく現れていた。映画に登場する先生は主として二人だが、もう一人の先生も中々いい。ヒステリックで厳しい女性教師然としているが、映画の後半で生徒を殴ったジェスを優しく包むシーンには思わず涙でした。
あっけないレスリーの死。観ている私達にとっても嘘でしょという感じだが、やはり悲しみは突然やってくるのである。現れ方も去り方も特別で、豊かな想像力を持つことの大切さを教えるべく神がもたらした天使だったに違いない。悲しむジェスに父が言う「彼女が教えてくれたものを大切にしなさい」と。終わってみると、ここには大人らしい大人がいたのである。エンディングで、それまで相手にしなかった妹をテラビシアに導くジェス。彼の心の中にレスリーはしっかりと生きていた証である。しかし、このエンディングには議論があるような気がする。私としては、そこ=テラビシアに行きレスリーに逢うシーンで終わって欲しかった。現実との整合性もあるのだろうが、ここは空想にシフトしていい部分だと思う。
 キャストでは、ジェス役のジョシュ・ハッチャーソンは、何処にでもいるような少年を好演していたが、レスリー役のアナソフィア・ロブが断然光っていた。彗星の如く役どころもそうなのだが、スター性も抜群で、次期出演作品が気になる女優の一人である。評価は3に近い「4」とした。

 Vol.18             ウォーターホース(2007年/アメリカ/112分)
■鑑賞日 2008.02.02(土) ■劇場名 ワーナーマイカルシネマズ釧路
■作品データ
■監督 ジェイ・ラッセル
■キャスト アンガス・マクマロウ/アレックス・エテル、アン・マクマロウ/エミリー・ワトソン、ルイス・モーブリー/ベン・チャプリン、ハミルトン大尉/デイビット・モリッシー、ブライアン・コックス
■ジャンル SFファンタジー
■あらすじ 第二次大戦中のスコットランドの小さな村。少年アンガスは、母と姉の3人家族。戦地に行ったまま連絡が途絶えた父親のことがいつも頭から離れず、寂しい思いをしていた。ある日、ネス湖で青く光る不思議な卵を見つける。家に持ち帰ると、孵化して今まで見たこともない生き物が殻の中から出てきた。恐る恐る自分の手で食べ物を与えると、アンガスを親と思って懐いてきた。アンガスは動物にクルーソーと名づけ、秘密裡に可愛がる。しかし、姉に、次には下男モーブリーに見つかってしまう。モーブリーは、スコットランドに伝わる伝説の海獣“ウォーター・ホース”だという。あっと言う間に大きくなったクルーソーをネス湖に放し、大人たちの目を盗んでクルーソーに会いに行くアンガス。ひとりぼっちの二人はいつしか信頼と友情に結ばれるが、そんな平和な日々が突然奪われてしまう。マクマロウ家を宿舎とするイギリス軍の軍事訓練がネス湖で開始されたのだった。
■コメント

ネス湖といえば誰もがあの「ネッシー」を思い浮かべることだろう。残念なことに、写真はほぼニセモノと結論づけられているが、そのことが、直ちにネッシーの存在を否定することにつながるものではない。実際に目撃したのに決定的証拠をものにできず、写真を捏造してしまったとしたら‥。映画は、ニセモノ写真が撮られた背景には本物の感動秘話があったという、大胆な発想から生まれたものである(パンフレットより)。
 映画は、一人の老人がネス湖を訪れた若いカップルにこれが真実だと言って語るところから始まる。
卵を見つけ、それが孵化し巨大な海獣に成長するまでの少年と海獣との心の交流が描かれている。戦地へ趣いた父の言葉を思い出しながら、その帰りを待つアンガス。寂しさを想像するのは難しいことではない。少年にとって父親の存在感や影響力がどれほど大きいか窺い知れる。その意味で、アンガスとの秘密を守ったモーブリー、笑顔を見せたのも彼の中に父親を見たからなのかもしれない。そのモーブリー、軍隊を除籍した英雄だが、何処となく陰のある雰意気を漂わせている。この陰がなんなのか、映画は明示しない。背中の大きな傷が答なのか‥。軍隊の捉え方にもオヤッ!と思わせるものがある。ドイツ軍の侵攻を阻止すべく配置されているにも関わらず、母親もモーブリーも批判的な意識を持ち続けている。アンにとっては愛する夫を奪った軍隊だからか、最前線で戦ったモーブリーには生易しいと映ったのだろうか。それとも‥。
圧巻はやはりクルーソーがアンガスを背に乗せて湖を泳ぎ回るシーン。違和感のないCG映像で、ダイナミック且つスピード感溢れるものだった。ただ、あれだけ激しく動き回られたら絶対に落ちるということと、水中に潜ったりもするが、途中から息苦しさから開放されるアンガスはどうしたことだろうと思ってしまった。そして、クライマックスのドイツの潜水艦と誤認されて攻撃を受けるシーン。砲火の中、クルーソーを海へ導くアンガスだが、出口に待ち受ける強固な網。思わず手に汗握る場面である。クルーソーを目の当たりにした釣り人がニセモノ写真を撮ったり、海獣退治に執念を燃やす軍人も現れる。もし、ネッシーがいたとしたらこんなシーンがあったに違いない。全てが終わり、静寂を取り戻したネス湖。そこには悠然と泳ぐクルーソーの姿が‥。クルーソーとの交流や大人達との様々な体験を経てアンガスは父の死も受け入れられるようになる。そんな風にして子供は一歩づつ大人に近づくのだろう。
映画としては凡作の域を出ないと思うが、つくづく、空想したり冒険したりできることの幸せを感じずにはいられない。2日続けて観たファンタジー映画の結論である。