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 Vol.15             厨房で逢いましょう(2006年/ドイツ=スイス/ピターズ・エンド/98分)
■鑑賞日 2008.01.05(土) ■劇場名 CINEとかちプリンス
■作品データ
■監督 ミヒャエル・ホーフマン
■キャスト グレゴア/ヨーゼフ・オステンドルフ、エデン/シャルロット・ロシュ、クサヴァー/デーヴィト・シュトリーゾフ、レオニー/レオニー・ステップ、ルートヴィヒ/マックス・リュートリンガー
■ジャンル ラブストーリー
■あらすじ 南ドイツの保養地に暮らす孤高の天才料理人グレゴアには二つの楽しみがあった.一つは料理をすること。彼はパリの高級レストランで給仕として働いていたルートヴィヒと共にたった3テーブルの店で「官能料理(エロチック・キュジーヌ)」を一人300ユーロ(約5万円)で提供していたが,あまりの評判に予約は遙か未来まで埋まっていた。そしてもう一つはオープン・カフェで働くウェイトレスの姿を眺めること。ある日グレゴアはそのウェイトレス・エデンのダウン症の娘レオニーを偶然助け、それをきっかけにレオニーの5歳の誕生日にプラリネを載せたチョコレートケーキをプレゼントする。これに魅了されたエデンは夫クサヴァーに秘密で毎火曜日にグレゴアの自宅を訪れるようになる。ひと時、彼女も、そして、彼女の家庭も幸せに包まれるが、次第に、エデンの夫はそのことに不快感を抱くようになるのだった…。
■コメント

料理をモチーフにした映画を何本も観ている訳ではないが、何となく心惹かれるのは、人間の本能を刺激するからだろうか。それだから、08年最初の映画に「厨房で逢いましょう」を選んだというのでもない。実のところ、主だった正月映画(洋画)は昨年末に観てしまったので、やむなくというのが真相である。
「天才シェフが平凡な主婦に恋をする」というコピーからはロマンチックなストーリーをイメージしたのだが、鴨の毛を毟り取るシーンに始まり、若くもなく、ハゲ頭のかなりメタボリックな体型のシェフが登場するに至っては、読みは早々に崩れることとなってしまった。このサエない中年男、容姿に自信もなく、女性にも無縁の生活を送っている。が、心寄せる女性が彼の料理の虜となることから、彼の苦悩が始まる。彼女の求める物は、あくまで料理であり、愛の対象は夫なのだ。彼の困惑や悲哀、その微妙な心の揺れが痛いほど伝わってくる。彼の心をよそに、彼女は心まで満たされ、美しく、何よりセクシーになっていく。その変貌ぶりが何とも鮮やかだ。もとより、「食べる」という行為は本能から発するもの。食べている時は、誰しもが無防備で自分を曝け出している。精神的にはヌード状態にあるといえるだろう。細やかな手の運びや艶かしい口の動き、少しだけ上気した頬、彷徨うような視線‥。エロチズム発散には理由があることを思い知らされる。
それにしても女性は図々しい(笑)。彼の気持を知りながら、食べるだけ食べて「私達は良い友達」とアッサリ言う。それに比べると、主人公(男)は、「嫉妬される」ことを初めて経験し驚いたり、彼女に「手を握らせて」と告白したりする。そして、彼女の夫の願いを聞き入れ町を離れようとまで決意する。悲しいまでに純なのだ。
ここで終われば、やりきれない悲恋モノなのだが、映画は全く意外な展開からエンディングに向かう。正直、これにはヤラレタ!という感じだ。ホッと安堵の胸をなでおろしたのは私だけではないだろう。
映画を観ていてつくづく思う。「食」は人を幸せにも不幸にもする。やはり疎かには出来ないのだ。美味しい物を食べるとお腹も心も満たされるのだということ、そして、美味しくいただくことが料理人のレベルアップにつながるということ、どうやらこれは間違いないようである。
蛇足ながら、この種の映画では美術作品のような料理が登場するシーンが珍しくないが、本作にはあまりない。むしろ、色もダーク調でグロテスクな印象が強い。目で料理を楽しむ向きには少々辛い。
結論的には、新年早々、予想外の人からお年玉をいただいた様な嬉しい気分に浸ることが出来た。大仕掛けのアクション映画もいいが、ジーンと心に響くそれもやはりいい。

 Vol.16             レッスン!(2006年/アメリカ/117分)
■鑑賞日 2008.01.23(水) ■劇場名 CINEとかちプリンス
■作品データ
■監督 リズ・フリードランダー
■キャスト ピエール/アントニオ・バンデラス、ロック/ロブ・ブラウン、ラレッタ/ヤヤ・ダコスタ、ケイトリン/ローレン・コリンズ、モーガン/カティア・ヴァーシラス、校長先生/アルフレ・ウッダード
■ジャンル ドラマ(学園)
■あらすじ 社交ダンスの講師ピエール・デュレインは、路地裏に停められていた車を破壊し逃げ去る少年に遭遇する。車の持ち主はその少年の高校の校長だった。翌日、ピエールはその校長を訪ねる。マンハッタンのそこはセキュリティチェックも強固な荒れた学校だった。彼は校長に「社交ダンスで生徒を更正したい」と申し出る。彼の粘り強い交渉に、校長はしぶしぶ承諾する。ヒップホップにしか興味のない落ちこぼれ生徒達。はじめは、「社交ダンスなんてヘタレのダンスだ」と言っていた彼らも、ピエールとモーガンの情熱的なタンゴを目の当たりにしてからは、次第に社交ダンスの魅力に取り付かれていく。だが、学業成績の上がらない生徒達のダンスクラスを閉鎖しようとする動きが表面化する。ピエールはPTAの父兄達を前に「批判するよりも行動する」ことが大事だと訴えるのだった‥。
■コメント

映画のタイトルが「レッスン!」で、先生は世界一のダンサー。生徒は誰もが見放す落ちこぼれ、とくればストーリーはおおよその想像がつく。だが、そのダンスが社交ダンスとは意外だった。ダンス=ヒップホップの彼らにとってそれは苦痛であり、発想の大転換を迫られるものだったに違いない。そこがどのように描かれるのかに興味があったが、生徒達は映画のコピーほど落ちこぼれではなかった。先生とモーガンの見事なタンゴに圧倒され、次第に社交ダンスに惹かれていく彼ら。やはり、指導者たるもの口先だけではダメなのである。付け加えれば、容姿とも絵になることが望ましい。また、ピエールがダンスのテクニックとあわせ、社交ダンスの真髄やパートナーへの接し方に触れる。曰く、「強い者こそ美しく踊れる」「男女は対等」「男は提案するだけで決定権は女性にある」「ペアで歩ければダンスは出来る」等々、ここは目からウロコの部分で、生徒ならずとも引き込まれてしまう。
落ちこぼれ生徒達には当然のごとく背景がある。ご多分にもれず、貧困な家庭や無責任な親、悪い仲間が登場する。そこから逃げ出すようにダンスに集中する。生徒の一人ラレッタが「ダンスをしている時は自由」と吐露するが、なんとも切ない台詞である。生徒達の頑張りに先生も応えざるを得ない。学業成績の上がらぬダンスクラスの閉鎖問題が持ち上がった時など、校長やPTAの父兄たちに「批判だけで問題は解決しない、行動することが大事」と切々と訴え危機を脱する。出来過ぎの感は否定できないが、その説得力には感心してしまう。そして、映画はクライマックスのダンスコンテストに向かう‥。
典型的な展開でインパクトに欠けるきらいはあるものの、音楽やダンスシーンがふんだんに登場するのはやはり見応えがある。テンポも良く、何よりハッピエンドというのがいい。
ただ、小さな綻びが目立つ作品でもある。ピエールが生徒達の更生を引き受けるが、彼がそこまでする動機が不明瞭である。校長との賭けのレベルではないはずなのだ。映画の大事な導入部として丁寧に描いて欲しかった。ピエールの経営するダンス教室に通うケイトリンがダンスクラスに転校してくるが、これも唐突としかいいようがない。ロックは悪い仲間達の復讐をかわせるのか、コンテストの参加料は‥と、まあ、重箱の隅をついてしまうのである(笑)。
映画は冒頭に「事実に想を得て」との字幕が入る。つまり、事実が映画のベースになっている訳で、やはり、現実はフィクションを超えることを痛感させられる。この前には前述した綻びなど全くの枝葉末節に過ぎないのだろう。
最後に、キャストについて少々。アントニオ・バンデラスは甘いマスク、セクシーなラテン系俳優で、「ゾロ」のイメージが強いが、この映画の中では、ダンスシーンで見せるキレのある動きと、抑制された演技の中に漂う気品が印象的だった。
もう一人、映画のミニポスターには、ピエールとモーガンのダンスシーンが使われているが、モーガン役のカティア・ヴァーシラスの抜群のスタイル(特に足は美しい!)と見事な踊りには脱帽であったことを付記しておこう。