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 Vol.9             ブレイブワン(2007年/アメリカ=オーストラリア/122分)
■鑑賞日 2007.11.13(火) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 ニールー・ジョーダン(製作総指揮/ジョディ・フォスター)
■キャスト エリカ/ジョディ・フォスター、マーサー刑事/テレンス・ハワード、デイビット/ナヴィーン・アンドリュース、キャロル/メアリー・スティーンバージェン、ビタール刑事/ニッキー・カット
■ジャンル サスペンス・アクション
■あらすじ  ニューヨークでラジオのパーソナリティを務めるエリカ・ベインは、婚約者のデイビッドと公園を散歩中、暴漢に襲われた。病院で意識を取り戻した彼女はデイビッドが死んだことを告げられ、悲しみに打ちひしがれる。自らの心にも傷を負い、満足に外出することもできなくなってしまった。そこでエリカが手にしたのは一挺の拳銃。そしてある日、偶然立ち寄ったコンビニで、強盗にその弾丸を発射するのだった。その事件を契機に、彼女はその拳銃で法で裁かれない悪を撃ち殺していく。彼女に好意を寄せつつも疑念を抱くマーサー刑事の追及を逃れて、遂に婚約者を殺した犯人に辿りつく‥。
■コメント

 ニュースなど見ていると、アメリカでは銃にまつわる事件は日常茶飯事のようだ。学校内での発砲・乱射、強盗殺人、過剰防衛、誤射等、枚挙にいとまがない。銃社会の弊害と言ってしまえばそれまでだが、多発・深刻化する犯罪社会の中で「自分の身は自分で守らなければならない」という悲しい現実に直面しているのもまた事実のようだ。この映画は、暴漢に襲われた普通の女性が銃を手にしたことにより、恐怖を乗越え悪を裁くという危険な領域へと突き進んでいくというストーリー展開である。銃社会アメリカにおいてもここまで衝撃的な選択はないと思われるが、人が極限状態に置かれた時の行動パターンを読むうえで興味深いものがある。
 分岐点はいくつかある。初めのそれは、恐怖心に押し潰されそうになりながら足を運んだ警察で非誠実な対応をされ、自分の身を守るべく銃を手に入れるところである。日本人の感覚としては絶対にありえないが、例えアメリカでも急激な心理変化は不自然のような気がする。二つ目の分岐点は、コンビニで偶然出くわした殺人事件で、恐怖のあまり殺人犯を射殺してしまう。ここまでは理解できるが、その後彼女は証拠の監視テープを手に目立たぬよう店を後にする。例え正当防衛であろうと、普通の女性ならショックでその場を動けないはずだ。ここも違和感を感じるところだ。その後は堰を切ったように彼女は「処刑人」のごとく振舞うが、この辺りの心理描写が良く分らない。「正義感」か「同情心」か、それとも「復讐心」か。つまり、恐怖心から手にした銃がどのように悪人を断罪するそれとなったのか、その理由が希薄なのである。ま、それこそが銃の持つ「魔力」と言えなくもないが‥。ささいなことだが、いつの間にか射撃の腕前もあがり普通の女性らしからぬ俊敏な動きを見せたりもする。破綻とまではいえないが不自然ではある。第三の分岐点は、自らの行動に耐え切れず警察に駆け込むが、ここでも告白する機会を逸してしまう。銃所持のキッカケを与え、吐露する機会を奪った警察。彼らに遠因があることも示唆しているのは当然だろう。
エリカの変貌するさまと絡んでくるのがマーサー刑事の動きである。彼女の担当する番組のファンだという彼はほのかな思いを彼女に寄せるが、同時に処刑人であることも知る。心情と法の狭間で苦悩するが、最後のシーンでは、エリカに復讐を遂げさせ逃亡を手助けする。これが「正義」だと言わんばかりに‥。出来すぎの感無きにしも非ずだが、アメリカならありそうな話ではある。
 極端との謗りは免れないが、銃社会アメリカの狂気は描かれていたし、人は極限状態の中では想像を超える振舞いをする可能性があることも分った。自分の意図しない方向へどんどんと突き進んでいってしまう。映画のパンフレットに「これが彼女の答え 許せるか 許せないか」というコピーがあるが、そう単純なものではないだろう。「歯車が狂う」とはこういうことであり、それはまた様々な要因が複合的に絡み合っているのだから‥。
 キャストで触れておかなければならないのは、エリカを演じるジョディ・フォスターである。「告発の行方」と「羊たちの沈黙」でオスカーを受賞した実力派女優だ。その容姿からは知的でクール、強い個性と揺るぎない自信を感じる。私としてはそれ故あまり好きな女優ではないが、芯=心の強い女性を演じると本当に巧いと思う。年齢不詳のような感じがするが1962年生45歳。そういえば、アップになった左手に小さなシミがあり、未婚の女性を演じるには限界かなァ〜と。ともあれ、彼女の演技は見事なものでしたが、シナリオレベルでの破綻はどうしようもない。彼女が製作総指揮まで関わったわりには駄作の部類か(辛口ゴメン)。

 Vol.10             ボーン・アルティメイタム(2007年/アメリカ/115分)
■鑑賞日 2007.11.25(日) ■劇場名 シネマ太陽帯広
■作品データ
■監督 ポール・グリーングラス / 製作総指揮:ダグ・リーマン
■キャスト ボーン/マット・デイモン、ニッキー/ジュリア・スタイルズ、パメラ/ジョーン・アレン、エズラ/スコット・グレン、ノア/デヴィット・ストラザーン、アルバート/アルバート・フィニー
■ジャンル サスペンス・アクション
■あらすじ CIAの極秘プロジェクト「トレッドストーン計画」によって暗殺者にされ、同時に記憶を失ったシェイソン・ボーン。彼は凍てつくモスクワで警官隊に追われるが、病院に潜入し警官達を撃退する。その6週間後、彼の写真がイギリスの新聞「ガーディアン」の一面に掲載された。記事を書いた記者のロスは「トレッドストーン計画」に代わる「ブラックブライアー計画」の取材を進めていたのだ。パリからロンドンに飛んだボーンは、失った記憶の鍵を見つけるため秘密裏にロスと接触しようとする。だが、ロスはすでにCIAの現地要員に監視されていて、若い暗殺者によって狙撃されてしまう。追われるボーンだが、偶然再会したCIA要員ニッキーの協力を得て危機を脱する。彼が次に現れたのはニューヨーク、ボーンの最後の闘いが始まろうとしていた‥。
■コメント

この映画は、「ボーン・アイデンティティー」「ボーン・スプレマシー」に続くボーンシリーズの第3作目で、同時に完結篇である。前2作を観て印象に残っているのは、破壊的ともいえるアクションとボーンの強さで、スパイ・アクションモノではその秀逸さにおいて他の追随を許さないと思う。それだけに、本作への期待も自然と高まったものだ。
 粗筋は、記憶を失った暗殺者ジェイソン・ボーンが、組織に最後通告(アルティメイタム)を叩きつけ、いよいよ自らの秘密を掴んでいく様子を、圧倒的な臨場感とともに描いていく、というものである。
カーチェイスやバイクによる追跡は前作同様リアルで迫力満点だが、正直、目新しさはあまりない。美味しい物ばかりを食べていると美味しさに鈍感になるのと同じだろうか。それでも、手強い刺客との息詰まる闘いは相変わらずスリリングだし、とにかく、モスクワやロンドン、ニューヨークと世界をまたにかけて繰り広げられるスピーディで緊迫した逃亡・追撃戦はアクション映画の真骨頂ともいえるだろう。それにしてもボーンは強い!。そこには記憶を消され、人間性を否定された殺人マシーンとしての悲しいまでの強さを感じることが出来る。
マット・デイモンもボーン役を実に好演していたと思う。クールで頭脳明晰、強固な肉体と屈強な容姿、彼ををおいて他にいないのではないだろうか。やはり、彼はグッド・シェパードの「マザー役」よりは、最前線でタフに活躍する役どころが似合うと思う。女性の存在がどちらかというと希薄なのもこのシリーズの特徴かもしれないが、今回は前作「スプレマシー」に登場したニッキーと元CIA上司バメラがボーンを間接的に支援する。この扱い方が難しいところだが、無難にまとめていたと思う。その関係を濃密なものにすればするほど、無類の強さを持つ暗殺者としてのボーンではなくなってしまような気がする。
映画の最後はニューヨークが舞台となる。敵の真只中に飛びこむ訳で目的地へ辿り着けるのか不安になるが、そこはボーン、CIAの裏をかくシーンは小気味いい。そして、ボーンは遂に自らの忌まわしい過去と対峙する。全てが明るみに出て、彼の「自分探しの旅」にピリオドを打つのだが、この展開はある程度予想されたものだ。そこでの彼の振舞いの鍵となるのが「人間性」のような気がする。自分を狙う暗殺者も、殺人マシーンにした張本人も殺すことはしない。それどころか、銃を向けられても反撃さえしないのだ。ボーンの内面で何かが劇的に変化した瞬間である。
カフェで、「ボーンの死亡が確認されていない」というニュースを聞いて静かに微笑むニッキー。直後のシーンで水中を動き出すボーン。ストーリーはこれで完結した訳だが、続編が製作されても不思議ではないエンディングである。自分を取り戻しはしたものの、彼の未来には更なる波乱が待ち受けているような気がしてならない。
 映画全体としては、一人の人間が強大な組織に立ち向かうという構図である。「個」が重んじられ、「自由」や「正義」を最大の価値とするアメリカでこのような計画が実在するとは思えないが、人や組織は時として変質することを忘れてはならない。軍隊や諜報機関ともなればその影響は極めて深刻なのだから。